親が子育て初挑戦、だから

我が家には、4歳差の兄妹がいます。
初めての妊娠、出産、そして育児が始まったわけですが、毎日が一生懸命でした。退院後、赤ちゃんと二人きりの時間が増え、カワイイと思う反面、泣き始めたら「お腹がすいたのか、おむつか、抱っこか」とあたふたしてしまって、訳がわからなくなってしまいます。夜に泣かれると、近所迷惑になってしまう、虐待に思われちゃうと焦らせる自分がいて、早く泣き止ませなくちゃと、いつも頑張っていました。毎日の授乳、夜泣きにへとへとになって一緒に寝ちゃうこともありました。寝ているときに、自分も休まないと体力が限界だったのです。でもかわいくって毎日写真を撮っては「顔が変わった」と話していたのを思い出します。

3歳ぐらいまではとにかく人見知り・場所見知りであったため、どこに行くにもいつも泣いていて、いつも抱っこでした。公園などに行っても誰もいなければ遊ぶのに、誰か来ると「抱っこ~」とお友達もなかなか出来ませんでした。でも諦めず、毎日毎日だいたい同じ時間に公園に行くと、同じ人に会うのでだんだん慣れてきて一緒に遊ぶようになったのは1か月ぐらいかかったこともありました。
一度慣れてしまえば、今度は大変です。家では親と自分しかいないからか、「かして」ができないのです。無言で相手のおもちゃを取ってしまって泣かれるぐらいならまだイイ方で、成長してくると対抗して、攻撃に転じた息子には本当にハラハラさせられました。

さて二人目ですが、もう私自身も慣れたもので、泣き方で「お腹減ったの~」「おむつかな~」とわかってしまうほどに成長していました。二人目だという余裕なのか、とにかく自分でも驚きました。4歳だったお兄ちゃんも、最初は「ちいさいね、ねんねしてるね」とかどう接していいかわからなかった様だったけど、赤ちゃんが泣くとママが取られてしまっても我慢。お兄ちゃんになるんだ!と決意し、一生懸命笑わそうとしていたり、大変微笑ましかったのを覚えています。

男の子と女の子の差も多少あるとは思いますが、二人目はゆったり育てられた気がします。私自身の「心の余裕」があったことが大きいと思っています。これぐらいならば大丈夫と、ハイハイの頃などは目の届く範囲で放置してとりあえず体力を消耗させようとしていたのも事実です。お兄ちゃんの時は、本棚の角が危ないとか、おもちゃをどかしてあげたりしていたものの、下の子はうまい具合によけたり転んだりしても、「あら転んじゃったね」とこちらの対応も違ったと思います。

今では2歳の下の子は、まねっこが大好きなので、お兄ちゃんの後を追っかけながら一緒になって遊んでいます。人見知りなんて全くなくて、むしろ自分から「あのね~」と話しかけちゃう女の子です。6歳の兄ともちゃんとケンカしているし、兄も泣かせちゃうし、強い妹、炸裂中です。

2人目の子供の育て方で楽だった点、苦労した点

我が家の子供たちは学年で言うと2年差、年齢で言うと1歳8ヶ月の差ということで2人目の育児に関しては上の子とほぼ同時進行で行いました。上がまだ手の掛かる時期に下ができてしまったために、最初の1年はとにかく”てんてこまい”な毎日でした。
上の子もまだオムツが取れていない時期でしたし、まだまだ赤ちゃんのように甘えん坊な部分も残っていました。上の子にしてみたらまだ兄という自覚もない時期に急にお兄ちゃんにさせられてしまったことに寂しさを覚えたのかもしれませんね。そのため上の子は生まれてきた妹にライバル心を燃やして、赤ちゃん帰りを起こしたり、私の見ていないところで下の子にいたずらをします。下の子はねんねの間は上の子の時に使用したベビーベッドに寝かせておくと、上の子が叩いたりおもちゃを投げ入れたりするために、急遽頑丈なネットで全体を囲まれた(いたずら防止対策用の)特注のベビーベッドをレンタルし過ごしていたのを思い出します。

このねんねの時期を通り過ぎてからは比較的楽になったことの方が多かったです。上の子に関しては私も育児に関しても初心者ですし、何も分からないままの状態で不安ばかりの育児でしたが、下の子に関しては上の子で経験済みのことがほとんどであったために気持ち的にも余裕を持って育児をすることができました。
また2人の年齢が近かったこともあり、育児で大変な時期が案外過ぎてみると短期間で終了したことです。一人一人の育児というよりも、2人まとめての育児といった感じでした。遊びに関しても私が間に入らなくても2人で遊んでくれますし、けんかをしながらも2人一緒に成長していった感じです。
また下の子は上の子のマネをしながら何でも覚えていきましたから、私が一から教えることがほとんどなかったのも育児の上で楽だった点だと思います。

現在2人は中学受験を志し日々勉強中です。上の子の影響で下の子も受験組で頑張ることを決めたようで・・・。こういった影響を受けやすいのも二人の年齢が近かった故にお互い、特に下の子は兄に勉強で負けたくないという負けん気が生まれたんだと思います。

女性として見られていない不安

妊娠中全体を通して、一番つらかったのは、自分が女として旦那さんが見てくれているのかという不安です。妊娠中は、普段よりも感情的になっていたので、余計にマイナス思考になってしまいやすく大変でした。

旦那さんは、定期的に飲み会に行っていました。ペースは妊娠前と同じで月に1回でした。一緒に行くのは、会社の同僚でした。飲み会の3日ほど前から私の機嫌が悪くなってしまうことが多かったです。

まず、彼が飲み会で素敵な女性に出会ってしまったらどうしよう、という不安からです。飲み会中にメールが来ると安心し、来ないと不安になる、その繰り返しでした。飲み会が終わって、旦那さんが帰ってくると、誰が飲み会に来ていたかがすごく気になってしまいます。旦那さんに直接聞くと、しっかり答えてくれるのですが、それでも不安でたまりませんでした。旦那さんに「心配しなくていいよ、浮気なんてしないよ」と言われると余計に心配になり、よく一人のときに泣いたり、イライラしたりしてしまいました。

他にも、妊娠8か月で10キロも太ってしまったので、足首や顔も太って見えて、旦那さんにとって私はもうきれいではない、という考えが消えず、辛かったです。妊娠前はどちらかというと痩せ気味だったので、余計太ったのが目立っていたと思います。

旦那さんは、「今もきれいだよ。妊娠してからすっぴんが可愛い」などたくさん言ってくれましたが、嘘だと思ってしまい、旦那さんにすごく冷たくなっていました。

旦那さんや私の友達がおしゃれをしたり、メイクをしたりしている写真をインターネットで見るたびに、「私もおしゃれができたらいいのに」と嫉妬してしまいました。

妊娠中は、私の不安感のせいで、何度も旦那さんに辛く当たってしまいました。あまりにそれが過ぎると、ケンカになってしまいました。だいたい2,3日経つと私の機嫌が直り、二人の関係も元に戻るのですが、多い時はそれが毎週あり、口をほとんど聞かないときもありました。

そのせいもあり、妊娠中はキスをしたり、抱き合ったりする機会も減ってしまいました。二人で出かける機会も減ってしまいました。カップルらしさがどんどんなくなっていってしまったのです。妊娠のせいで夫婦関係は以前より悪くなってしまったかもしれません。

時間経過とともに不調が増える

二十代後半です。
初めての出産からもうすぐ二年が経ちますが、
時間の経過とともに産後の不調が多くなりました。

一ヶ月の間に体調に不調を感じない日の方が正直、少なくなりました。
頭痛や吐き気、めまい、腰痛、肩こり、帝王切開の傷口の痛み等様々です。

産後すぐは、帝王切開だったために
傷口の痛みや毎日の授乳等で寝不足気味でした。

帝王切開の痛みは、産後三ヶ月くらいまで
お腹に力を入れたり
何かの拍子に傷口部分に触れてしまった時、
傷口部分の皮が伸びて引っ張られた時などに痛みました。

そして、産後三ヶ月後くらいからは、尿漏れが起こりました。
尿漏れは、妊婦さんや通常分娩の産後直後の方に起こるイメージだったので
帝王切開で出産した人や産後数ヵ月後にも起こりうる事なんだ?!と正直、驚きました。
尿漏れは、いわゆる膣トレと言うものを行っていいるうちに改善されました。

その後も寒い日や天気が悪くなる前などは、
帝王切開の傷口が傷みます。
傷口の見た目は、綺麗なので炎症などが原因ではなく
よくある「古傷が痛む」という原因のようです。

後は、生理再開後は、排卵痛が起こるようになり
お腹の痛みや不快感、頭痛、吐き気、めまい等
かなり酷い症状が現れる事が多くなり
生理の際の血液量も妊娠前より増えて多くなったので
かなり困っています。

生理初日や二日目は、出血量が多くて
タンポン等を使用して
少しの時間外出する事も不安になりました。

子供を抱っこする機会も多く、肩こりや腰痛にも悩まされています。
なるべく腰に負担がかからない様に抱っこしたり
抱っこする時間も少なくしていますが
子供が歩けなくなった時や抱っこをせがむ時には
たくさん抱っこしてあげたいので悩みどころです。

そして、産後は、疲れやすくなりました。
疲れがたまると口にヘルペスが出たり
ものもらいを発症しやすくなりました。
免疫力を高めたり、よく身体を休めるようにしていますが
家事、育児等のストレスは、なかなか手ごわいですね。

毎朝、免疫力を高めるためにヨーグルトを食べて、
夜は、栄養剤を飲みます。
特に疲れがひどい時には栄養ドリンクも飲み
毎日の健康管理を心がけています。

排卵痛や生理の際の不調が長く続くようだったら
一度、病院で診てもらう事も考えております。

子供の為にも健康的な母親で居たいと思います。

私の身体に起こった産後の変化と悩みについて

私は30代後半の主婦です。我が家には2人の子どもがいますが、20代の後半に一人目の子供を出産しました。その直後私に起こった不調のお話をしたいと思います。

長い妊娠期間を経て、やっと出産という時のこと。陣痛に苦しむ私の一番辛かったのはおなかの痛みというよりもむしろ腰の痛みでした。それまであまり腰痛というものを経験したことの無かった私ですが、その時の痛みはまるで、腰の骨が砕けてしまうかような、痛みのせいで身体がどうにかなってしまうかのような不安に襲われたほどの痛みでした。腰痛に悩まされながらもなんとか出産したのですが、その直後から私はひどい腰痛に悩まされることとなったのです。

この腰痛、最初は陣痛と出産からくる一時的なものかと思っていましたが、その痛みは出産後も相変わらず続いていました。里帰り出産でしたので産後の1ヶ月はのんびりと過ごしたこともあって”そのうち治るだろう”と安易に考えていたのですが、産後2ヶ月目に実家から家に戻ってからが地獄でしたね。主人は仕事が忙しいために私一人で育児をこなさなくてはならない日々。そんな私の身体にはいつも腰痛の悩みがありましたが、腰の痛みを我慢しながら一生懸命慣れない育児に励みました。そんな無理がたたったせいか産後3ヶ月を過ぎたくらいからとうとうまともに立っていることもできないほど腰痛が悪化してしまったのです。

近くに住んでいた義母に無理を言って子供を見ていてもらい、その間に近くの整骨院というところの門を初めて叩きました。診断結果は腰を駆使し続けたために起こっている慢性の腰痛だそうで、これを治すためにはしばらくの間絶対安静といわれてしまいました。育児で忙しい私にそんなことをしている時間は結局なく、その後も日常コルセットとシップを使いながらの生活。週2日の頻度で義母に子供を見ていてもらい、整骨院でマッサージを受ける日々を3ヶ月ほど過ごしました。

マッサージの効果が少しずつ現れたせいか、生後半年を過ぎる頃には病状は大分よくなって、腰に負担を掛けなければ普段どおりの生活が送れるようになりました。とはいっても今でもちょっと無理をするとすぐ腰にきてしまう私。お産の時から変わってしまった身体と上手く付き合わなくては・・・と思って生活する毎日です。

女性の敵は女性?

第一子を妊娠している時の話です。

私は小児科医として働いていましたから、赤ちゃんを見る、接する、ということにはとても慣れていました。が、やはり自分自身が妊娠するというのは全くの別世界。色々と不安やしんどさがあり、当時関係のよかった姑や小姑にもよく相談をしていました。

最初はとても親切で、皆で一緒に新しい家族を迎える幸福感に浸っていましたが、徐々にそれがしんどいものへを変わってきました。

原因は姑と小姑の「経験者は語る」という姿勢。もちろん経験者の意見は参考になります。でも、妊娠出産は千差万別。自分がこうだから相手もこうとは限らないものですが、私が何を言っても否定される、ということが日に日に酷くなっていきました。

最初はつわりから。私はそれほど重くはなかったものの、姑・小姑よりは酷かったようで、そのしんどさが理解できない二人は

「まだ気持ち悪いなんて言ってるの?えー」

と非常に不満気。ただでさえ気分が悪く、しんどい思いをしてわざわざ親戚の集まりをしたのにも関わらず、その心無い言葉、、しんどさも倍増です。

次が子供の3Dのエコー写真を見せた際。仕事柄何度も見たことがあったものの、わが子となると格別。思わず持ち歩いて、会う親戚会う親戚に見せたものでした。そこで小姑が発した言葉は「えー。私は可愛いとは思わないな。本当にかわいいと思えるのは生まれて人間らしくなってきたからだよ」と。事あるごとにこちらの幸せに水を差す小姑に徐々に嫌気が差してきたものです。

そして最終的にもうだめだ、と感じたのが、逆子のために帝王切開が決まり不安がっている私に発した二人の言葉。

「帝王切開なんて楽なお産。堪え性のない子が生まれるんじゃないか。」

「おなかを切るのが怖い?帝王切開なんてちょっと切るだけでしょう。」

と。帝王切開は合併症も当然起こりうる列記として手術。自然分娩よりは母体への負担もリスクも大きい手術。妊婦である私自身、帝王切開になってしまったショック、自然分娩ができないことへの悲しみ、手術を受けることへの不安、、、と押しつぶされそうな思いで最後のときを過ごしていたところへ、配慮のない心無い言葉を吐く二人、にとうとう私も堪忍袋の緒が切れてしまいました。当然夫も出産は良くわからない人でしたから、帝王切開がどんなものか、がわからない。自分の母と姉がそういえばそういうものなのか、と感じたでしょうし、私の気持ちを配慮してくれることもありませんでしたので、そういったことも余計に響いたのかもしれません。

当初は姑も小姑も手術当日に産院に来る予定でしたが、小姑は断り(と言っても小姑自身幼子を抱えていたため、という名目でしたが)、姑に関しても夫がきちんと対応するよう、術後はどういう状況かわからないため、何かあるようなら夫と実母の二人だけで病室にいてほしい、ということを伝え、手術に臨みました。本当は姑にも遠慮していただきたく、それとなく夫に「帝王切開をした友人が、当日は本当に辛くて夫と実の母以外には会いたくなかった、と言っていた」と遠まわしに伝えたのですが伝わらず、、、。

手術当日も実の母よりもずいぶん前に来たため、オペ着にめがね、点滴を引きずっている私はなんだか恥ずかしい思いをしましたし、術後も麻酔や鎮静が切れかけてしんどいなか、大声であれこれ話しかけてくるのが本当にしんどく、痛みだけでも大変なのに休むことも出来ない辛さで、一人の子の母となった喜びを噛み締めることもできずに過ごしていました。結局退院前には新生児室に駆け込んで泣いてしまうほどの暴言もあり、幸せの絶頂となるはずだった一人目の妊娠・出産生活が非常に辛いものへと変わってしまいました。

それから何年もたった今となってはもうあまり何とも思いませんが、それから関係がそれなりに修復し、行き来するようになるのに何年もかかり、今でも第一子の妊娠出産関連の話は暗黙の了解でタブーとなっている状態です。

妊娠中の女性は感情の起伏が普段よりも激しくなりやすいものですし、近しい親族であればあるほど、気をつけて接していかなければいけない、ということを学んだ一件でもありました。

わたしの好き嫌いの多さ…離乳食を始めて実感!メニューの偏り

私の場合、離乳食で一番頭を悩ませたのは、メニューの偏りでした。
「離乳食」と一言でいうよりも離乳食中期?後期にかけて…その間にとても苦労をした思い出があります。

私は早く断乳をしたかったので3ヶ月頃から果汁などは与え、5ヶ月に入るとすぐお粥の上澄みからスタートしました。
離乳食初期のお粥や野菜のペースト、白身魚のペーストなどアレルギーに注意しながら一つ一つの食材を試していく…これは多少の手間はかかるものの簡単で楽しく始めることができました。しかも始めは一日一回です。
自分たちのご飯を炊きながら一緒に子ども用にお粥を炊く、自分たちのおかずを作りながらその日のメニューの中から毎日一種類ずつ野菜等を小さいお鍋で茹でてすり潰す。ドキドキしながら楽しくスタートをしたのを覚えています。
しかし中期後半から後期になると、毎日の食事の数も2回、3回と増え、お粥と野菜単品のペーストなどという単純メニューではなくなってきます。
だいたい朝は前日のおかずを少し残しておいて与える。昼は常備菜を入れたお粥。夕飯で離乳食の本を見ながら少しずつ新メニューを開拓していましたが、そこでさらに困ったのが自分自身の好き嫌いの多さでした。私の場合、魚介類が嫌いでしたので、ささみやひき肉、豆腐等が頻繁メニューでした。家計にもあまり余裕はなかったので離乳食のためだけにまったくの別材料を買い足すのは厳しく、ときどき小さなしらすパックやお刺身用の白身魚を少し買ってきて調理するようにしていました。
それでもやはり毎日のことです。しかも1日3回。主婦歴が長かったわけでもないので自分たちのメニューですら試行錯誤で苦戦する毎日…。食事の用意とは別に子どもも手がかかるようになってきます。やはり簡単で得意なメニューに偏ってしまいました。
私は自分の実家の近くに住んでいたので、主人が飲み会の日や、出張の時は時々実家に帰ってお世話になったのですが、その度に母が出してくれる夕飯と離乳食はとても新鮮で、そこでレパートリーを増やしていました。

もう少し自分自身も好き嫌いをなくせば、同じ材料で上手にご飯と離乳食を作れたのかもしれないです。それができないなら自分の料理とは別に、ちゃんと栄養バランスを考えた離乳食をちゃんと作ってあげないといけませんね。
分かっていても、なかなか抜け出せない…とても苦労をしたことを覚えています。

育児でイライラしたときの私の気分転換法を3つ

現在3歳の息子を持つ母親です。今は大分修まりましたが、息子がイヤイヤ期突入でそれにつられて私は常にイライラするようになってしまい、ときには息子に当たってしまうこともありました。当たると必ず後悔してしまいます。そんな私が編み出した気分転換法を3つ紹介します。

1.家事をする

息子にイライラして当たる前に1回深呼吸してから立ち上がり、部屋の掃除や食器の洗い物などなんでもいいので家事をします。
最初はイライラしてその感情のままに掃除機を強くもってちょっと乱暴に動かしたり、食器を乱暴に扱ってしまったりしてしまいますが、そのうち段々と通常の状態になるので、そしたら何も考えずただ体を動かします。暫くすると落ち着いてきますので、息子に当たることは少なくなります。

2.息子を義父母に預ける

これは環境によって大きく変わるかもしれませんが、私の場合は車で1時間くらいのところに義父母が住んでいて、自分たちの都合のいいときに息子を預かってくれます。なかなか自分から積極的に息子を預かってもらうようお願いできないところが難点ですが、それでも預かってもらえるだけラッキーだと思うようにしています。

たまにしか訪れない息子のいないときに旦那と2人で居酒屋や焼肉屋さんへ行くもよし、レストランやカフェでのんびりだってできちゃいますし、もしくは1人きりで部屋でぐうたらもできてしまいます。そしていざ息子が帰ってきたときには笑顔で迎えられます。

3.カラオケへ行く

息子が産まれてからなんとなくカラオケを控えていた私ですが、最近カラオケへ行くことが出来ました。それは息子へのイライラがピークに達したとき、無気力状態になってしまい、息子が私のところへ来ても反応できなくなってしまいました。この状況を旦那が危険と察知したのか、カラオケに行こうと提案してくれました。

前々から私がカラオケ行きたいと言っていたのを覚えてくれていたのもあったのかもしれません。そのとき私はあまり乗り気ではなかったのですが、近所のカラオケ屋さんに行き、歌い始めたらなんだか少しずつですが、心が軽くなっていく気がしました。
久しぶりのカラオケでしたのでヘタですが、それでも大声を出したのがよかったのでしょうか、帰るときは息子に優しく接することができるようになりました。カラオケはお店や時間帯によって料金が安いときがあるので、調べようによっては安く気分転換できると思います。

以上が私が息子に対するイライラしたときの気分転換法です。
これからも子育てをする上でイライラすることがたくさん出てくると思いますが、うまく気分転換ができればいいと思います。

営業事務をしていたときに受けた社員からのマタハラ

某大手不動産会社で営業事務をしていたときのことです。私がいた部署は女性5名、男性15人程度の小規模部署でした。ほぼ8割が既婚者で男性社員にはお子さんもいらっしゃる方も多く在籍していました。
女性社員は比較的仲が良かったですが、特別仲が良いわけでもなく仕事上差し障り無い程度の関係でした。ある繁忙期前に、女性社員の一人、Aさんが妊娠したとの報告を受けました。そのAさんは今回で二人目の妊娠。実はその時も一人目の産休復帰後で時短勤務期間中でした。産休開けの1年は時短勤務といって普段18時定時ですが16時定時に出来ます。給料は減りますが保育園のお迎え等ありますので16時でもきつそうでした。皆「おめでとう~!」というかたわら、また産休か、代替要員どうするのだろうというのがもう見え見えでした。
部長が派遣社員を代替として契約しましたが一から教えなければいけないのは大変なことでした。

そのことから社内に産休って迷惑。。というような風潮が出始めたと感じました。女性社員もAさんが時短勤務で帰社することでAさんがいないけれど至急で事務に頼みたい仕事というのを営業マンから言われたりと仕事の量が必然と増えました。至急でと言われればAさんが明日出社して処理をしたのでは間に合わないためほかの営業事務で処理するしかなく女性社員の中でも少し負担に思えてきていたのは事実です。代替の派遣社員の方も入ってすぐ全てがこなせるわけではなく指導等もあり周囲(特に女性社員)の負担は目に見えて明らかでした。
ですが、女性社員からすればいつか自分も通る道かもしれないという思いもありますし産休を取るのも社員として許されているものなのだからと割り切って考えれていました。

特にひどいマタハラだったのは部長でした。産休をとるAさんには直接言ってはいませんでしたが、私の時代は結婚したら寿退社するものだったとか、産休で周りにかかる迷惑を考えたことがないんだろうとか産休のたびに派遣社員を雇うのもなぁなどそれはひどい言いようでした。まるで産休をとる=非常識な行為と言わんばかりのものでした。
ほかの女性社員にも「子供の予定は?」と面談時に聞いてきたりなにかとてもプレッシャーを与えるものでした。
そのとき私は結婚したばかりでしたがいずれ子供が欲しいと思っていたのでなんだか自分に、産休とるくらいなら辞めてもらったほうが楽と言われたようなきがしてとてもショックでした。

睡眠がとれず医療保護入院

現在、三人の子育てをしています。そのうち、第三子の出産は悲しい思い出ばかりです。上二人は、里帰り出産で、対応も良かったのですが、第三子は、上の子の小学校の通学もあって、里帰りができす、病院を変えることになりました。その産婦人科とは相性が悪く、病院の時間的な都合によって、無理やりの出産を経験しました。陣痛で、苦しんでいる私に、「母親として失格」などの暴言を吐かれていました。あまりのショックに声もでなくなり、泣きながら出産をしました。赤ちゃんは元気だったので一先ず安心しましたが、その後、私の体調は、出産中の出来事がフラッシュバックするようになり、一睡もできなくなってしまいました。眠れないけれど、三時間おきの授乳は続く…。おむつも寝ぐずりも、上の子のお世話も、全てが降りかかってきました。実家の協力は得られなかったので、家事もこなさなければなりませんでした。産後一か月ほどで、母乳の出が悪くなり、ミルクとの混合のストレスを解消するためにも、ミルクのみに切り替えたことも、子どもに対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 
睡眠がとれないのはずっと続いており、頭が混乱を起こし始めました。「自分には超能力がある」と言い出したり、「人が自殺した」と大喜びしたり…。「死ね死ね死ね」と、変な声が聞こえたりしていました。主人を真夜中に起こし、大喧嘩になったこともあります。お互いヘトヘトでした。育児が大変で外出もままならず、助産師さんにも相談できませんでした。実家の両親が、様子がおかしいのに気付き、病院を受診することを薦められましたが、頑なに拒否。病院へ行くだけの元気も残っていなかったのです。そこで、両親は警察に相談をし、その日のうちに保護されました。すぐに、心療内科へ連れていかれました。診断名は「統合失調症」。産後うつはよく聞きますが、出産のショックで心が壊れてしまっていたのです。医療保護という入院形態をとり、出産後初めてゆっくり休めました。治療は、睡眠導入剤の投薬だったのですが、一度眠ったことで、次の日からも眠れるようになったのは本当に助かったと思います。

あれから、3年が経ちました。出産時のトラウマは今では少しずつ和らいできています。睡眠が取れるようになってからは、統合失調症の症状も段々と改善されてきました。子子どもは、一時期児童相談所でお世話になりましたが、今は家庭で元気に生活しています。

出産は命がけです。その分、心を蝕むことがあることを、身をもって体験しました。自分たちだけでは解決できなかったので、周りの方たちに助けを求めることの大切さを実感しています。こんな体験をしましたが、それでも子どもたちはとってもかわいい。私の宝物です!!